09

20
個展と写真と浅草の関係



じゃん。
ユパママさまからいただきました招待券で行ってきました「星野道夫展」in浅草でございます。
関係ないが個展名がなんだか名に掛けているのかイマイチ格好悪い。
ま。それはそもそも関係ないが。
ユパママありがとう。あなたの分までしっかり楽しんできましたよ。

なんつっても撮影中にクマに襲われ、非業の死をとげたのは有名な話ではある。
氏の個展なるものなんてもちろん過去にも行ったことはないのだが、初めて見るにつけ、なるほど、これだけの自然や野生の絶好のタイミングにその場でファインダーを覗いているということは、それだけの危険と隣り合わせでもあるということが、これらの作品群を見ていてもよくわかる。
そしてそのタイミングを見つけてくる写真家の才能に感服である。




そういえば、所々に本人が大自然をバックにパチリと納まっているのがあるのだが、それらはよく一般人が観光地でやる自分でタイマーとかあわせて撮るんだろうか。
そうでなければ、自身が写っている作品は誰か別の人間が撮っているということで、それすなわち星野氏の作品としてこうして個展で飾るのはおかしい話ともいえてしまう。
ただ、大自然のなかでタイマー撮影で慌ててポイントに戻る写真家の画は、考えてみると少し変だ。
そういう意味では本人が写る写真は真相はどうであれ、別の誰かが撮っていてもいいのかも。

星野道夫という人にたまたま縁があるのか、私は特段写真集や個展などに足繁く通う輩ではないのに、こうして巡りあわせでチケットをいただいたり、20歳かそこらの頃にたまたま星野氏と知らずに購入した「ムース」と「グリズリー」という写真集が私の手元にある。




こういう風に、たまたまかもしれないが、巡りあわせの縁というので、今日のこの日もそういう意味で導かれているなら、そういう縁に乗っかって風の流れに沿って揺らいでいたい。
と、思う今日この頃であった。
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09

19
原動力と魅力との関係

サービス業に関わったことは、高校くらいのアルバイトでしかないのだが。
よくテレビなどで、この仕事のどこに魅力を感じるかといった問いに対して、よくあるのが「お客様の笑顔」とくる。

これにイマイチ説得力を感じない。
理由はそんなもん容易に想像できるからだ。
相手があって、そのリアクションのよさを感じることができるなら、それは次への原動力にはなる。
私見になるが、それを超えるような、なにかの魅力を説明してもらいたいもんだ。

仕事への原動力というものの選択肢を最近いろいろ考えたりする。




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09

11
打ち合わせとそれぞれの心理でいう関係

ついこの間の話になるが。
取引先の事務所などへ出向いて打ち合わせがあったのだが、例によってではないが、私が事務所へ着いたときには、スタッフ全員がそろっているというバツの悪い状況だった。

私の名誉のためにいっておくが。
ん? 別に名誉なんていらないか。誤解のないようにというところだな。
私が到着したのは時間どおりではあった。
これがいかんといわれればそれまでだが、遅刻したわけではないのである。
ただ、たまたま几帳面な人らがそろったのか、私が依頼主だから立場上早めのスタンバイなのか、理由はどうであれ私としてはやや恐縮する状況に立たされたわけだ。

「失礼しました」
と断って着席する私。
矢継ぎ早に女性の事務の人が冷たいウーロン茶を差し出してくれる。
今日なんかは涼しく快適な日中だったが、この日はまだまだ酷暑であった。
本当のところはガブガブと実際は見たことないが、甲子園球児のようにアゴから水をこぼしながら荒々しく飲みたいイメージなのだが、ここは大人な私である。
しかも遅れたわけではないが、結果的に遅れた扱いを立場上振舞わざるをえない状況である。
さらにしかも着席後まもなくは話の流れを早めに掴む必要もある。
そんなこんなで、お茶に手をつけたいのはやまやまだが、まずは静観となるのだった。

しばらくして、話の流れが見えてくる。
私はメモりながら、いっちょまえにペンを振り振りで気分は理論派である。
「今のところ、もう少し具体的に」
なんていうのである。
出遅れた立場で、依頼主とはいえ状況的には完全にアウェーではあるが、ボチボチ挽回のタイミングである。
相手はその道の専門なのだが、もう一度説明を求めた場合、同じ言い回しをするヤツはあまりいない。
個人差はあるが、体温は1度くらい上げてリニューアルした説明を始めたりするのである。

その専門くんは楕円形のテーブルの私の左隣り、伸ばせば膝も当たる距離にいる。
なるほど。リニューアル説明で、内容が分かってくる。
単純に説明がやさしい人に私は好意的である。
専門くんは私の要領を得た顔を確認し、前傾姿勢をやや崩す。
と。おもむろにお茶をガブリ。

あれ?

あれぇぇ!!
おまえのお茶は左のヤツだろぉ!!
以上は私の心の叫びである。
気分はターザンばりの大発狂ではあるが、やはりここも大人な私である。
マユをピクリ程度でなんとかこらえる。

しかも半分くらい飲みやがった。。。
どうするか?
ここはひとつ「専門さん、それ私のお茶ですよ」
と笑顔で質すか。
いや待てよ。
たかがお茶でないか。今、話は大金が動きかねない事業の話をしてるというのに、お茶一杯の話で水を差すのはいかがなもんか。
しかも挽回してきたとはいえ、私は遅れ人間。

む。
専門くんがお茶のコップをにぎにぎしている。
「コラッ専門! コップから手を放せ!」
無論私の心の叫びである。
全部飲み干されるわけにはいかないのである。

しょうがない。
ちょっと荒療治だが、専門がコップから手を放したら、すかさず私がそのお茶を少し飲んでコイツに気がつかせてやるか。
よしそれで行こう。
ふふ。専門がしきりに私に謝る姿が目に浮かぶぞ。
「すいません、ホントすいません。私のお茶をどうぞ。まだ飲んでませんから」
「いやあ、ははは。いいですよ、いいですって。それより今は話のつづきを」
無論、これも私の数秒先のイメージである。お茶はお茶、ミーティングはミーティングのメリハリが効いた私なのである。この一連の顛末が聞こえた事務員さんが新しいお茶を持ってくるのは必至である。

そして専門がなにやら資料をバシャバシャとめくり出した。
すかさず私はコップを握る。
そしてガブリである。

どうだ?
専門め。ほれ、謝れ。
あれ?
専門は資料を読み込んで私のこの大胆な行為に気付かなかったようだ。
しょうがねぇな。
この男と同じお茶を何度も飲むというのはイマイチ不本意だが、毒食わば皿までというし、もう1回だけだぞ。専門、よく見てろよ。

そしてもう一度ガブリ。
今度は横目で専門を見る。
よし。専門の視界に私のこの行動が目に入ったぞ。
さぁ言え。ほら謝れ。

むむ?
なんでだ?なぜ謝らん?
お?なんだ?専門、なにをする気だ?
「ちょっと失礼」
といって、私のコップを私のほうへ押しやる専門。
そして別の資料をテーブルに拡げだし、左のお茶をガブリと飲む。
目は資料から放さない。

こいつは。。。
気が付いていない。
そして私はもうそのお茶には手をつけないのであった。




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09

06
ひとつの試合とひとつの記憶の関係

昨今は政治家などをはじめとする、足元をすくってやるような不正やスキャンダルがワイドショーや週刊誌を賑わしている。
それにしてもだ。
昔付き合っていたような男と女の赤裸々な回想話というのはどうにもゲンナリする。見たり読んだりしたわけではないが、中吊りの見出しなどを見る限りはどうせ大概は相手を中傷するような内容と見てとれる。

いってみれば、試合は終わっているというのに、いつまでもウジウジとグラウンドに残って悪態をついているようなもんだ。
相手はとっくに次の試合のためにこの場を去っているというのに。




たとえその試合の最後がぐちゃぐちゃで血を見るような大乱闘になったとしても、序盤や中盤にはそれなりの連係プレーや絶妙のファインプレーもあったはずだ。好きで試合に挑むのである。試合が盛り上がるのは当然といえる。
その盛り上がりを覚えていれば、振り返ってあの試合もそこそこだったかとはならないんだろうか。
しかも相手は渦中の人間である。
かたちはどうであれ、ひとつの成功を収めた人間ともいえる。

以前、同じ場所で試合をしたことがある人間は、もうここにはいないどころかはるか遠いところにいるわけである。
そういう相手に対して終わったことをウジウジいう自分自身がミジメに感じそうな気もするんだが。




話は微妙に違うが。

私がまだまだ若く、未成年やんちっち真っ盛りの頃、それはまぁいつもいつもいろんなものから逃げていた時分があった。
当時も今も思い出せば楽しい日々だったわけであるが、たまたま追いかけてくる警察から逃げているときがあった。
これにストレスなどはまったくなく、むしろ心地よいくらいのプレッシャーを背中に背負い込む程度ではあった。
とはいえ、当然全力疾走である。

こういつもいつも逃げていると、逃げながらに、今日は誰が自分たちを追いかけてくるのかを振り返って確認したりもする。
すると、その日はしぶといカイという警官だった。
こいつは環七を越えても諦めずに追いかけてくるし、捕まると説教が長いし、追いかけながら大声を出す。それが自分たちの焦りを誘うことも十分知っているのだ。
そのカイから逃げ切ってやる。
これは気合が入る瞬間でもある。

私は環七の歩道橋を気分は5段とびのつもりだが、実際は3段とびで越えて行く。チャリに乗るカイはさすがに交通量の多い環七は横切れない。歩道橋となるとチャリを降りざるを得ない。カイは環七を越えても追ってくるが、ここからの条件は対等である。
私の視線の先には、私が走る逃げ道が赤い糸で見えている。それは道であって道でない。2つ目の壁を越えるときには、カイの視界から私はもう見えなくなっていることだろう。

「勝った」
逃げるという行為のなかで最高の瞬間ともいえる。
今は分別のある立派な大人であるが、あの瞬間に味わえる感覚というのは、今でも唐突にフラッシュバックするときがある。




がしかし。
「うひゃぁ」
とかいう変な悲鳴を後ろから聞く。
私はもう少しで歩道橋の下りの階段を降りきるところである。
振り返れば、カイが私の友人(ハチ)に飛びついているではないか。
私の計算ではその位置で追いついていることはありえないはずなのに。
あとでカイから聞いたのだが、歩道橋の上からダイブしたとかいっていた。
本当にしぶといヤツである。

ハチを救いたいのはヤマヤマだが、カイは私が戻ってくるのをハチを捕まえて誘っている。ガチンコ勝負ではカイに勝てっこない。憎らしいがカイはそれも分かっている。
私はハチを見捨てて、階段を降りきった。もう振り返らず走るだけである。
もちろんカイは追っては来ない。
それでも私には屈辱感しか残らない。さっきまでの最高の瞬間なんてあっさり霧散である。
「るん夫ぉ〜!!」
それがカイの声なのか、ハチの声なのかも分からない。
最悪の瞬間である。

数時間経って、完全に夜が明ける。
結局のところ、私はカイのもとへ行くことになる。
聞いたことはないが、きっとカイはそれも分かっている。
調書と説教、最後は保護者のお迎えでお開きである。

そして最近の話になるが。
たまたま遊び倒した朝にその環七の歩道橋の前をハチと通ったのである。
私の記憶では別の陸橋だった気がしたのだが、ハチはときどき思い出すらしく、ヤツの記憶のほうが正しいのだろう。
振り返ってハチを見る私の顔を今も覚えていると。
歩道橋を越えられなかった自分がいつまでも私に追いつかない気がするとかいうのだ。

変な告白でびっくりしたのはいうまでもない。
私の何に追いつきたいのかがまず分からない。
見るからに生活はこちらよりも良さそうだし、奥さん美人だし、それに奥さん美人だし。なんつっても奥さん美人だし。。。。
酒を飲んでるというのもあるのかもだが、私にとってはピンとこない話だとしても誰かにとってはその記憶は今も鮮やかに残るということなのか。
ある意味、まだ試合が続いているということなのか。


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09

03
ポンスケとトゥームレイダーと私の関係

う〜ん。
なんかしんどい状況が連発すると、当たりまえのことだがそれだけで滅入ってくる。
せっかく週末を楽しく過ごせたはずの時間も、澱のように重なっている重い心象がそんときの気分に少なからず影響してしまうのだ。




うちのおバカポンはそういうタイミングに絶妙にかかわってくる。
私の足元でもっとなでろとせがんでくるだけなのだが、そんな生意気な行為が今は私の癒しとなるのだ。
あぁ。まさにペットバンザイという瞬間である。

そういう意味ではうちのトゥームレイダーるん子さまを相手に、無謀にも私が戦いを挑むときも、なにかと分け入って、なんとか私のプライドがずたずたに切り裂かれる前に戦いは「軽い敗北」程度で収束させてくれているのは、もっとこのお腹のここの回りをなでろと、たった今、私の足元で具体的な要求をしてくるこのバカポンのおかげに他ならないのである。




ここでしっかりこいつの要求を受け入れてやって、また今度の週末もこれを連れてどこぞに遊びへいくのである。
私の仕事はまた月曜から再開するわけであるが、このポンスケはいってみれば週末に私にあちこち連れまわされて、私の期待に応えるのが仕事ともいえるのだ。

そうか、バカポン。
ここか?ここが気持ちいか?

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