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雨と強い雨と珍犬の関係

雨が強く降っている。
家の中にいてもドバドバと音がするほどの大雨である。

なんもない週末の昼である。
本来ならば家でじっとして、なにをするわけでもなく過ごすということができるわけであるが、犬飼となるとちょっと事情が違う。
ヨコでゴチャゴチャとうるさいのである。
外へ連れてけとうるさいわけである。

まぁウジウジいってはいるが、実際にはカッパも着るわけで、すでに壊れて2足目となった長靴もはいて歩くわけである。要はあたりまえのことであるが、それなりの覚悟があるわけである。
犬飼となってその習慣に対応するわけである。
よく動物や魚の類いが擬態化を図ることで外敵から身を守ったりする。
これも見方によっては環境に対応しているのである。
これに感心したりしたものだが、考えてみれば擬態化まではいかないにしても人間だって対応するのである。

トイレに入ってみると、どうにもウンコ臭い。
いったんトイレを出ることも頭をよぎるが、こっちだって一歩も退けない状況である。そうして逡巡していると、いつの間にやらその臭いが気にならなくなっている。恐ろしいことではあるが、これも対応である。

生きている物はなんやかんやで知らず知らずのうちに環境に対応できるようになっているのだろう。
好むと好まざるとにかかわらず、気がついたらなんだかしっくりきているとか、本意ではないが、これでもやっていけるとか、そういったことも対応ということなのだろう。

周囲で起こるいろんな変化に気がついたら対応している自分にフツーに感心してしまう今日この頃なのである。


バカポン、事件ですよ!

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上空を飛ぶ思考と置かれている状況の関係

置かれている状況に反して自分の思考がはるか上空を飛んで行ってしまうときがある。
例えばこうである。

目の前で泣きながら何やら私に訴えている。
相手は泣いているのだ。
涙を流しながらの訴えである。これはもう切実なものである。
なのに私はといえば、話は聞こえてくるのだが、視線が相手の手元へ集中してしまう。

相手がギュッと握っているそのチケット。
破れる前に救出しなくちゃいけないと。
仮に破れたチケットをもって窓口に行くのはいいにしても、果たして入場できるのだろうか。
なにしろ入手困難な奇跡のチケットなのである。
もちろん置かれている状況は分かっている。チケットには悪いが、救出はもう少しあとにしなくては、私の身も危ういのだ。
チケットの命か私の命かのしんどい狭間で私の思考は停滞中なのである。

またはこんな場合もある。

相当の怒り心頭なのである。
相手の顔といえば、本物は見たことはないが、阿修羅そのものである。
そして発狂寸前の金切声である。これは普通の暮らしのなかでは出ない音である。
これだけでもかなり怒らせちゃってるのである。
なのに私はといえば、同じように話は重々聞こえるのだが、集中できないのである。相手の襟元がどうにも気になるのである。

たぶん蕎麦の麺だ。
Yシャツの襟のところに引っ付いているのである。
昼メシか。
もう麺もカピカピで取れないのだ。
すぐそばの蕎麦屋かな。個人的にはそんなに美味いと思わないが、へぇあそこ行くのか。だったら、少し歩くけどもっと美味いところがあるんだけどな。
ほとぼりが冷めたら今度教えてやるか。
手前の蕎麦屋か奥のヤツかの美味意識の狭間で私の思考はまたしても停滞中なのである。

要は思考が一定の位置で収まらないのである。
どうにも集中できない私の落ち着きのなさは、思えばかなり幼少の頃からである。
ボーダーコリーが羊を追うように。
競走馬がゴールを目指すように。
爆発的な集中力がいつになってもやってこないのである。

相手が必死になってなにかを訴えているというのは、都合よく解釈すれば私を思ってのこと。
ところが当の本人は全く別のことを考えたりしているのだ。
私が特別な人間というわけではないし、大多数の人がボーダーコーリー的思考を持つわけではないとすれば、会話というものは声に出して言葉を交わす以外にも、目まぐるしくそれぞれの上空を飛び交う思考や心理があるともいえる。
それが面白いと思えるのも人と人との連なりといえるのかもしれない。



モニュメントとバカポン

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11
ホッキョクグマか鶏口牛後かの関係

環境の話になるが。

よくいうが、大きな環境の変化というものは生命の存続を脅かすくらいの危機感があったりする。
氷原を歩くホッキョクグマも、例年であれば氷のすき間からニョキニョキ顔を出すアザラシを仕留めているはずなのに、あるはずのない流氷に乗ってしまい、お宝もいただけず流されたりしている。
アザラシは氷原に乗り上げることも少なく、天敵のいない海原を泳いだりしている。

そして私の暮らす下町でも環境の変化が起きている。
私の小さな生活環境の変化である。
機会があって、持て余してしまうほどの時間をムーディー調でいうなら右から左へ受け流している。

週末に私と遊ぶことが自分の仕事と思っているフシがある我が家のバカポンは、いつまでも家にいる私にいい加減不審感を持ち出したようで、私がいくところいくところへついて回る始末だ。
フツーならこの時間は爆睡中のようなのだが、なにかが違うと私の周りから離れない。
なんだか定年退職後のお父さんのような扱いである。
廊下の埃が気になって、掃除機を手に取り、そういえば掃除機を買い換えてから初めて私は使うのだなと思ったりする。
ダイソンが高くて手が届かないので、犬の毛用タイプの他メーカーの掃除機を買ったのはずい分前である。おぉ結構吸うじゃねぇかなんて今さら思ったりする。

なんでもない時間がするりするりと過ぎて行くのである。

私が飛び乗った流氷はこれから少しずつではあるが、進むのであろう。
大氷原はそれなりに居心地がよかったが、もしかするとこの流氷がアザラシの群れに辿り着くかもしれないし、もしかするとこのまま融けて海へチャポンかもしれない。
つまるところは、私が欲張りなホッキョクグマということなのだろう。
他の人には見えないかもだが、私の視線の先にはアザラシの群れが見えちゃったのである。
それをとっちめずにはいられないのである。


降りろ!

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02
ボディシャンプーと習慣の関係

ボディシャンプーが切れたので、新しいのをおろした。
私の場合でいくと、特別几帳面でもないので、決まったシャンプーとかリンスなどといった取り決めはない。
ただ、そのときにその店で安売りしているヤツなどを買う程度である。

ところがだ。
今回のボディシャンプーは大きく大別すると比較的高価なヤツなはずなのだが、これがしっくりこない。どうにもオイリーなのである。
これまでの安価なものに肌が慣れているからだろうか。

習慣というものは意外と侮れない。
そこまで慣れ親しんでるなんて思ってはみないものも、取替えや気分転換になんて思って試みたものが案外しっくりこない。
習慣化した日常を取り壊し、新しい環境をつくるということは本当に体力を要する。

取替えがなんぼでも効くシャンプーやリンスは「改める」ということで片付けるとしても、取替えの効かない環境や関係はずっと大切にしていきたい。
そう考えてしまう今日この頃であった。


なんだやる気あんじゃん

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